陽光桜 YOKO THE CHERRY BLOSSOM

(C)GRAND KAFE PICTURES 2015
戦時中、軍国教育を行っていた青年学校で教師だった高岡正明は、終戦直後から「わしが教え子たちを戦地に送り込んでしまった」との自責の念に苦しみ続けた。そして、正明は「戦争という、二度とこのような悲惨なことを繰り返してはならない。戦死した教え子たちの鎮魂と、世界恒久平和への願いを託して新しい桜を自分の手で作ろう」と、生涯を賭けた桜の新品種開発を誓う。 正明にとって、その桜は「新しい桜」でなければならなかった。「厳寒のシベリアで散った子たちもいる。亜熱帯のインドシナ半島で亡くなった子もおる。教え子たちの鎮魂と世界各国への平和のメッセージを託すには、これまでの桜ではいかん。どんな気候でも花を咲かせる、病気にも強い樹勢が良い品種でなければいかんけん」 その挑戦は苦難の連続だった。植物遺伝学上、桜は人工受粉で新たな品種をつくることは「不可能」だと言われていた。しかし、正明は自らの誓いを胸に秘め不屈の精神で試行錯誤を繰り返し、30年後、ついに桜の新品種登録第一号となる「陽光」を生み出す。

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